こんにちは。梅雨に入ったというものの晴天が続いていて、それは個人的には喜ばしいのですが、農作物のことに思い至って複雑な心境になり、梅雨時はやはりしっかり雨が降って欲しいとの思いを強くしたOJA-P(オジャピー)です。(執筆時は梅雨の真っ只中でしたが、公開時は明けてしまいました。ごめんなさい)
前回、かぐや姫との出会いはビートルズのアビイ・ロードからの「アビーロードの街」という曲だったお話をしました。
しかし、かぐや姫といえば誰もが知っているのはあの名曲ですね。そう、「神田川」。この曲がヒットしたのは1973(昭和48)年ですから、私は10歳。ミリオセラー超えの大ヒットということだったので、テレビやラジオで耳にしてもおかしくありません。でも、どういう訳かヒットした頃の記憶がないんですよね。
どのタイミングで聴くようになったかは朧げなのですが、かぐや姫を代表する名曲であることには異論はありません。イントロの哀愁に満ちたヴァイオリンの音色は当時はちみつぱい、後にムーンライダーズのメンバーである武川雅寛さんによる演奏だと知ったのはだいぶたってからのことでした。
ストーリーは同棲していた男女の、銭湯に通ったり絵を描いて戯れた時の想い出を女性の視線から綴ったもので、作詞は喜多條忠(まこと)さん。当時は小池一夫さんの劇画「同棲時代」が人気だったこともあり、また地方から上京した大学生が親元を離れて下宿し、自由に恋愛ができるようになったことも「同棲ブーム」に拍車をかけたのでは・・・と思います。かくいう私も地方からの上京組、文系の大学だったこともあり時間を自由に使って学生生活を謳歌したクチでした。(両親に感謝です)
神田川の創作秘話についてはこうせつさんもいろんなところで語っていますが、翌日にレコーディングを控えているのに、まだ曲ができていないこうせつさんが、喜多條さんに歌詞を書いてくれと頼んだそうです。放送作家だった喜多條さんが、こうせつさんに初めて作詞を依頼されたのは第一次かぐや姫時代の『マキシーのために』が初めて。今日中にとの急なお願いに、徹夜明けの身体で書き上げた喜多條さんは、電話でこうせつさんに歌詞を口述。聞き書きをしながらのこうせつさんに、いきなりメロディーが降りてきて出来上がったという奇跡のような曲だったそうです。
出だしからいきなり、
貴方は もう忘れたかしら
というのも、今思えば画期的な入りですね。もう遥か昔に別れてしまった、かつては愛した人への問いかけから始まるという斬新な入り・・・この二人に何があったんだろう?まさに掴みはOKという感じです。そしてラストの、
若かったあの頃 何も恐くなかった
ただ 貴方のやさしさが 恐かった
(『神田川』より)
やさしさが恐い?最後の最後で、この考えさせられるひと言。この示唆的な、いろんな解釈ができる表現こそ、喜多條さんの感性と歌心が産んだ名フレーズだったと思うのです。いったいどうして恐かったんだろう?優しさがいつまでも続くと信じられなかったからでしょうか。それとも真の優しさなのかと疑う自分がいたから?
そしてこうせつさんの、あの包みこむような優しいヴォーカル。
当初アルバム(かぐや姫さあど)の一曲として収録されたものが、こうせつさんがDJを務める深夜放送で流したところ火がつき、急きょのシングル・カット。時代を代表する大ヒットになるのですから、世の中は不思議なものですね。
次の曲がヒットしなければクビ、という背水の陣でリリースしたグレープの「精霊流し」も、名古屋の深夜放送のDJが気に入ってヘビーローテーションした結果ヒットした、というエピソードも思い出しました。
当時のラジオの影響力の凄さを、あらためて感じ入ってしまいます。
そしてこの曲、NHK紅白歌合戦に出場依頼が来た際に、「24色のクレパス買って」の「クレパス」を「クレヨン」に変えて欲しい(当時NHKは特定企業の登録商標を出せない決まりがあった)という依頼を蹴って、出場を辞退したというエピソードも残されています。あの優しそうなこうせつさんの、一本筋が通った無骨さはやはり九州男児のそれなのでしょうか。そういえば、以前新幹線の中で、酔っ払った反社の乗客の胸ぐらをつかみ「皆さん!こういう方を許していいんでしょうか?」と皆に問いかけたというエピソードもありますから、その人となりも想像がつきますね。
代表曲としての宿痾とでも言いましょうか、テレビ出演すれば必ず歌うことを余儀なくされるこの曲。こうせつファンとしては聴き過ぎて、さすがに食傷ぎみになった時期もありましたが、コンサートのアンコールでヴァイオリンのイントロが流れてくると、パブロフの犬的条件反射で涙腺がじゅわっとなってしまう私でありました。


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